「SEO」とは焚き火を囲み神話を語る人たちへのコンテンツである
こんにちは、NOBLOGのノブです。
最近「SEOってなんだろう」ってことをよく考えます。
一般的にはSEOといえば、検索で上位表示を取ることなんだろうけど、本当にそれが正しいのか、と僕の中の僕が声を上げています。
普段はWebマーケティング会社でSEO事業部のディレクターをやりつつ、個人事業主としてもSEOコンサルをやってる僕が「SEOとは何か」を超ラフに書き殴ってみます。
結論、僕はSEOは「どう人の心を動かせるか」を考える仕事なんじゃないかと思っています。
数十年前であれば、そうは言えなかったはずです。
- どこからバックリンクをもらって
- どこにどんなリンクを入れて
- 文字数は何文字にして、キーワードは何を詰め込んで
みたいにもっともっとテクニカルだったと思います。
もちろん今でもその側面もあります。
テクニカル側面突き詰めていけば、それが回り回ってユーザーのためになることも事実です。
こういうテクニカル重視で作られたコンテンツは確かに上位表示できます。
しかしお客様になってもらえたり、ファンになってもらうにはそれだけでは不十分です。
結局人は人である限り、感情が動かされるコンテンツに惹かれるんだと思うんです。
特に最近ではGoogleのAIは超絶賢くなってきているので、人の心が動かせるコンテンツなのかどうかってのは、ちゃんと分かっています。
よく最近は「Tik-Tokが流行ってる」とか「若者はググらない、インスタの時代だ」なんて言われてたりしてきましたが、それも本質からは逸れているように思います。
感動するコンテンツ、心が動かすことのできるコンテンツであれば、インスタだろうか、YouTubeだろうが、ブログだろうがなんだって良いわけです。
それよりも、人は何に心を動かされるのか、人の心を動かすためには自分はどんなインプットをしないといけないのか、そしてそれをどんな風にアウトプットするべきなのか、を本質としてもっともっと考えた方が良いように感じてます。
人の心を動かしたいから、セールスライティングがあり、動画があり、デザインがあるとこういう風に考えられれば、いくらプラットフォームが変わろうが、アルゴリズムが変わろうが、もっと本質的なコンテンツを作れるのではないかと思うわけです。
そんなことを考えているとですね、人間ってなんだ?感情ってなんだ?人は昔はどうあって、これからどう変わっていくのかという問いにまでつながっていく気がしています。
同時に僕は人は人である限り、ネットができようが、宇宙にいこうが、人としての本質は原始人だったころと何一つ変わってないように思います。
荒野で狩りをして、焚き火を囲んで、神話を語っていた頃と何も変わっていないんだろうと。
だからSEOやインスタで滞在率がどうの、保存率がどうのと近視眼的になる前にもっと本質的なことを考えるべきだと強く思うんですね。
火を囲んで肉を頬張る人類に響くコンテンツを作ろうと。
そんな感じで終わります。